平和【peace】

  戦争に対する社会科学的な知識の豊富さに対して、平和についての人類学的な知識の落籍は極めて過小であると言わざるをえない。戦争の歴史は著述されても、平和の歴史が語られることはなかった。これらはとりもなおさず、戦争への情動が、芸術表現やデザインにおいて強いモチーフになり得る半面、平価は、失われて初めて、その尊さに気づくからである。「真実の平和、それは他所で戦争が起こっているときのことである」というような皮肉な表現があるように、平和は戦争の大概念であり、戦争のない状態が平和だとされてきた。しかし、戦争がないから平和だとは決して限らない。よって、改めて平和というものを独立して定義しなければならない。その場合に、最も重要視しなければならないのは、平和とは、戦争の対概念ではなく、文化や時代という観点から考察された意味論であるべきだということである。文化論的にいえば、平和は、個々の文化の中心軸とその周辺論によって、その意味するところが異なる。たとえば、それぞれの文化で平和を意味している言葉とその概念を比較すると、古代ユダヤ数のシャーローム=salomや、ギリシアのエイレネ=eireneあるいはローマのパクス=paxにおける定義への積極性志向などは、秩序の強調という意味がその根幹にある。一方で、古代インドのシャーンチィ=santiとは、心的状態の重視である、これは中国、日本の平和観にも繋がる。つまり、西洋における定義の実現が、「平和のための戦争」や敵国への完全征服支配というように外国的、政治的であるのにたいして、東洋では、憎しみの除外や心の平安とゆうように、内向的、非政治的なのである。ただし、この大きな差異は、文化や時代との接点で常に変化し、新たな歴史観と世界観をつくり上げてきた。現代において、世界観としての平和を見れば、真の平和を実現させるものは、知識でも思想でもなく、知識と思想を体現した人々による影響力を持った行動であり、実践であると考えられるようになってきた。これは人類すべてに共有される目標及び概念になっている。デザインにとっても、平和への実践と体現がその本質がその本質でもあると考える。   

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