われわれ【 We / us 】

   「「われわれ=we」という言葉は、人称代名詞として、明確な人間同士や、人間関係の連帯感や無差別的な意識性を表す。と同時に、単なる融合状態の曖昧性をも表す代名詞となっている。連帯意識=「われわれ意識」と、共同的な感覚である「われわれ感情」にも見られるように、社会学的な定義を獲得している人称代名詞である。われわれのひとりである「われ=I」は、自分の主体的な体験そのものが、明確な共同性のある意識として再確認できることを潜在的に表している。さらに、「われわれ」という融合的な意識や感情が「あなたたち」に転化して、再び「われ」に対峙したとき、「われ」が感得する規制された結合性が、集団の中の「われ」を意味する。それは、そのひとりである「われ=私」の要件であることを明示している。これは、「われわれ」そのものが、他者との関係性を推し量っていく意識的な部分的融合のある感情となって、その規模を、コミュニオン、コミュノテ、マスという3つの水準で決定しているということである。つまり、集団の無差別的な一体感の共有の度合いによって、「われわれ」という感情を、人々の主体的な共同的経験として積極的に意識できることになる。簡潔に言えば、「われ=I」の思考が「われわれ=we」の思考と同次元であるか否かということで、個人的な発言が、集団への強調された意見なのか、あるいは「われわれ」と主張することで、共同的かつ無差別的な融合性や結合性をどれだけ呼びかける主語代名詞にあっているかということである。
デザインにおいては、人称的手法として、「われ=I」が何らかの価値観、つまり望ましさと好ましさを自分自身に問いかけ、そこからの主観的な表現を、「あなた=you」に差し出すことになる。次に三人称である「かれ・かれら・彼女・彼女ら」の客観的な価値観で推し量られるとき、デザイン価値、あるいは価値デザインが創出されたということになる。さらに言えば、「われ」であるデザイナーが、「われわれ」の中に実在しているという感覚を意識的、あるいは無差別に共有できてこそはじめて、「われ=私」のデザインが「われわれ」のデザインへと昇華するのである。この認識は、デザイナーの私事的な職能観として極めて重大であると考える。

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