論理【Logic】

  論理には2つに大別すべき基本的な範疇がある。まず、「思考」、次に「認識」に関与することである。「思考」においては、その形式や方法、論法、そして文脈や道筋を思考の論法、あるいは思考論理という。「認識」においては、認識対象や認知に至るための脈絡や構造が認識の論理、つまり論理認識である。論理思考に関しては、思考の内容を捨象し推論の形式を考究する学問の形式論理学があり、論理認識には認識対象の確実な把握を目指す認識論的論理学がある。この2つの学問は、思考と認識の正確さと正しさの共有を目的としているために、数学・哲学・文学・工学・記号学など、さまざまな学域での思考と認識を関係づける手法学となっている。したがって、その内容には歴史的に蓄積されてきたこの蓄積があるからこそ人類が思考と認識によって、世界観や文化を体系化し、かつその方法や法則を構造化できたのだと私は判断している。
 しかし、思考と認識を論理的に再検証すれば、次のような問題が明確となる。まず、「正しい論理」とは、唯一あるいは複数なのかどうか。唯一の正しさがあったとしても、複数の論理と照合していくときに、唯一性に集約もしくは収束するのかつまり、真逆的な論理的原則があったとしても、その真正な不一致性がみつけられるのかどうかということである。そこで、この2つの相補性が、論理的な概念を表出させられるのかという問題がある。さらに、こうした問題そのものを再び、論理的な認識に帰結させることで、何らかの範囲を限定する規約として記述できるのかということにまで問題は繋がっていく。これはすなわち、論理は経験的かどうかということであり、論理の必要性があったとしても、それが必然性と思考や認識の本質性までを明示しているのかという問題が生まれ、言い換えるならば「論理の論理」に束縛されているのであり、これが論理学の限界ではないかという判断に帰結していくと言えるだろう。そこで、デザインの論理、あるいは論理のデザインを相補的、相関的にするデザイン論理学、もしくは論理デザイン学によって、デザイン思考、デザイン認識を記述することが、デザインの本質を再考し再認識するうえで、きわめて重要だと私は判断している。   

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