ゆたかな社会【Affluent society】

   第2次世界大戦後、特に先進国家は、貧困と不平等、さらには生活の不安から解放されたかのように、表面的には見えた。しかし、実情は、異質の問題をより多く抱え込むようになってしまった。これは、貧しい時代における生産性の向上などについて、古い経済学の観念に立脚して、経済学的な発展学を希求してきたことに原因がある。このことを、1958年、米国の経済学者、ジョン・ケネス・ガルブレイスが『ゆたかな社会』という著作で指摘した。第1は、欲求の人為的な創出である。本来、生産は欲求を充足させるためのものであったが、欲求や欲望が先行指標となり、そのために生産性の向上を図ることとなる。第2は、消費者負債をさらに生み出すシステムが制度にまでなり、その不安定さによって、インフレーションやデフレーションという難問を必ず抱えるだろうということ。第3は、社会的なアンバランス性が瞬時におこるということ。民間的なアンバランスと公共的なアンバランスがあり、特に後者によって、社会的なサービス体制が不備になっていく傾向となる。ガルブレイスのこうした指摘は、現実と理想を対比させた、大衆消費社会の構造的欠陥への提言だった。今、この指摘は全く正当であった。人間にとっての豊かさとは、貧しさと現実的かつ理想的な距離感を共有しつつ、社会をつくることだということを示唆している。我が国、日本も、戦後の急激な経済成長によって、「豊かな社会」に一応はなったが、かつての社会にあった「心のゆたかさ」を失い、今では、貧しかった頃が郷愁のなかで語られるあり様である。
 とりわけ、デザインはその職能によって、「ゆたかな社会への機能美」を商品として消費させるという構造のなかに組み込まれている。したがってデザインが、欲求や欲望を刺激する装置となってしまっており、これには警鐘を鳴らす必要がある。つまり、豊かさと貧しさの判断基準は、単純に経済的なことだけではないことを、認識する必要がある。昨今のさまざまな社会的な問題を見ても、「ゆたかな社会」の真の意味を再検証し、心的な豊かさのありようを早急に求めなければならなくなってきているのではないかと考える。   

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