景観【scene】

  見渡せる景色、眺め全体の気色を総称して景観という。ここでは景色感を端的に景観と呼んでいるという解釈で定義づけてみたい。 地形的に見渡せる眺めという観点では、風景的な自然、植物、山河、季節的な風景を景観と呼ぶ。が、人工的に作られた景色という観点での眺めは、見渡せる限界がある環境、視覚的に把握できる風景、あるいは、その風景の中での、風情ある情景までを景観と呼ぶ。つまり、情景的な景観は、人間の営みと自然、季節との関係での環境的な気配全てを統合的に表現する言葉として、最も適切な用語になっていると考えることができる。 例えば、自然景観は景色であり、一方人工的な都市景観では、景気の動向までが意識化される環境的な眺めや全貌や時代性までを表現する言葉になり得る。景色は、古典的には、山水、風物の光景や風景を、本来呼んでいた「気色」という言葉から、人心が感じ取る部分を取り払って、見渡せる眺めという視覚性だけの意味合いから派生したものであると言われている。しかし、人間は視覚的な印象から気配を感じ取る。とりわけ人と人がある景色の中に登場している場面や人と事物の関係を眺め見るとき、そこに何らかの風情を感じ取れば、それは情景と呼ぶシーンを眺めているということができるわけだ。同様に、その景色環境での自然の風物や人工物の配置や対比が構成されているとき、いわば、直喩的または比喩的に光や陰を感じとるときには、その景色を光景と呼ぶことになる。光景は陽と陰であり、光と闇を表す。風景は、易経では、彗星・月食・雷鳴・日食などの天地変異の景観を表していると言われている。よって、日本には、景観を取り囲む言葉として、光景、風景、情景という景色観がある。この景色感は、気色感という主観的な感覚論をさらに客観的な印象にするための言葉であるということもできるのではないだろうか。デザインは、風情ある景色=景観を計画していく行為に他ならない。   

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