理想主義【Idealism】

  理想の「理」には、「玉石を磨くときに、その石に通っている筋目に従って磨けば磨くほど美しくなる」という原意がある。ここから派生して、理には「筋を通す」という意味が生まれた。仏教には真理という言葉がある。これはたとえ表面的な現象であっても、その現象そのものをも支配している「ことわり」を意味している。「想」とは、対象物を心でとらえて念じるという意味である。そこで、「理想」とは、想いに筋が通っているということになる。こうした原意から、現実には実現されていないが、将来、必ずやこうあるべき、当然成立していかなければ道理が通らない、それこそ、人間の生き様として筋が通らないという概念になる。つまり、人間の理性という「理」=ことわりと、感情や感性を十分に満足させる最も完成された状況や状態を理想という。究極の到達点としての最高の形態を表しており、実現が全く不可能な絶対的な永遠性や最高善までを理想としている。したがって、その理想を主張し、理としての筋道を主義とすることを理想主義という。ただし、主張や、主義を重要視することから、観念主義という側面が大きいことも確かである。しかし、理想主義は単なる観念性から離反した目的や目標を持ち、人間の根本的な実存性にまで及ぶ。それは、わが国の憲法においても、「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」という表現に見ることができる。こうした意味、概念性、観念性のなかで、人間の生き方と社会性の調和や秩序を創出する実務として、デザインを定義することができる。すなわち、デザインとは、理想主義を実演する有効かつ絶対的唯一の方法論、哲学、実務手段であるということができる。私は、デザインそのものによって、理想主義という思想・哲学を、現象としてみせることができると考えている。   

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