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第5回「内藤 廣」氏

日本列島全体における空間設計デザイン国際化と
コンシリエンスデザイン


「KK塾」第5回目は、建築家・内藤廣氏を講師に開催。彼は極めて温厚で交友関係においても幅広い人格者です。しかし、国立競技場のコンペでは副審査委員長でしたから、あの大変な審査混乱では、立場上その調整役に回されていました。しかも東大名誉教授・元東大副学長という役回りで「体制側の代表役」と見られ、「権力者」=友人を失ったという告白も聞いていました。彼は「権威と権力のシンボル」になっていました。私は親友の一人として、彼が東大教授であり、国政サイドの権力者扱いの彼個人の苦悩を身近に見てきました。この混乱状況に追い込まれながらも非難されながらも、彼が苦渋の決断をあえて選んだことを見てきた一人として、周辺のアンチ派や擁護派ともどもを平準化してみてきたつもりです。それ以上に、彼との友情はあくまでも「デザイン才能者」関係で講師を依頼しました。彼は「1960年に戻らねば」・・・という彼自身の問いかけから彼の講演は多岐にわたって芸術から憲法までの展開を見せてくれました。「もう一度日本は1960年代に戻らねば・・・」に私は真っ向から、「それはロマンでしかないこと」、建築家とデザイナーを対立させました。その根幹は、彼が大学人として、東大の土木工学・建築学・都市工学を「デザイン」で統合化した最初の人物であり、私がGマーク審査委員長時代に、彼を次期審査委員長候補として意識していました。ただし、彼には「デザインとは何か?」があり、私には「何がデザインか?」の対比構造化を対立させました。彼との対談を初めて公的に見せることになりました。その興味は確実に会場には満ちていたと思います。そして、講演後には、私と彼を久々に招いてくれた世界的グラフィックデザイナー「サイトウマコト」の存在がありました。すっかり国際的な画家となっている野性的なサイトウマコトは、私にも内藤廣氏にも「猛獣的かつ辛辣な専門主義破壊」を二人にぶつけてくれました。「そんなことはゴミだ!クズだ!」と断言する闘いを世界相手にサイトウマコトはしていました。また私が3.11と向き合った最初に、土地主義・土木主義の国政問題を教えてくれた唯一の専門家は内藤廣でした。なんといっても彼はいつも私の闘争を受け止めてくれています。おそらくこの友情は持ち続けていくでしょう。

内藤 廣
建築家, 東京大学名誉教授
1950年横浜市生まれ。1976年早稲田大学大学院修了。フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所、菊竹清訓建築設計事務所を経て、1981年内藤廣建築設計事務所を設立。2001〜2011年東京大学大学院教授、副学長を歴任。主な建築作品に、海の博物館、安曇野ちひろ美術館、牧野富太郎記念館、島根県芸術文化センター、日向市駅、安曇野市庁舎、静岡県草薙総合運動場体育館などがある。